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  • 執筆者の写真澤﨑信孝

祖父「稲吉百歳」。(調べはじめ)

更新日:1月28日


今日は71回目の終戦の日。


戦争で亡くなられた方々の魂やすらかなることを


心よりお祈り申し上げます。


祖父の消息をたどる手掛かりは


当初母の本籍地の戸籍謄本のみ。


祖父の父(曾祖父)までわかりますが、兄弟の消息までは


わかりませんでした(又従姉妹が私の親の世代!&しかも昭和32年で本戸籍消除)。


何か情報を掴めると思ったんですがね。


役所に問い合わせて知ったのですが、戸籍謄本を取れるのは直系のみなんですね。


ここでわかったのは出生地と生年月日、そして亡くなった日付と場所。


本籍地は長崎県長崎市、出生地は現在の長崎県島原市。


手書きで記載されていて、達筆すぎて判読しずらかったのですが


亡くなったのはビルマのテンゼイク村付近。


しかし「東方約一粁(1Km)地点」とは大雑把すぎやしないか?


そうするしかなかったのだろうか。人が亡くなった場所なのに。


ちょっと納得がいかない。


そして生まれは大正4年(1915)。


なんと、生きていれば名前の通り昨年「百歳」を迎えていたのではないですか。


もっと早くわかっていれば、、、。


それにしても戦死に至るまでの詳しいことがわからない。


そもそも、祖父がどういった経緯で、いつ召集されたのかもわからない。


母が生まれたのが昭和18年9月。


それを知らずに亡くなっているから、おそらくそれ以前に召集されて帰って来れなかった、ということだろう。


所属部隊はどこだったのか。


陸軍の部隊は出身地によって基本的に配属が決まっているはずで、当時、長崎出身者が配属されそうなのは、第12師団(小倉)、第18師団(久留米)、第56師団(久留米)、第86師団(久留米)、第112師団(久留米)、第156師団(久留米)、第212師団(久留米)、第312師団(久留米)があり(随分いっぱい部隊があったのですね)、その中で昭和18年以降、ビルマに進駐していた部隊は第18師団と第56師団。このどちらかであることが濃厚。


しかし、それ以上特定する要素がないので、どうにも進まない。


亡くなった場所、ビルマ(ミャンマー)のテンゼイクという地名も地図で見当たらない。


そんな中、どうやら軍歴証明書というものがあり、そこに所属した部隊名などが記載されていて、本籍地のある自治体で管理していることがわかる。糸口が見えてきたか?


祖父の本籍地、長崎県の窓口に問い合わせると、請求者の本人確認書類(健康保険証等のコピー)と続柄を証明する戸籍を添付し、祖父の名前・生年月日・終戦時の本籍地がわかれば郵送での請求も出来るとのこと。


兵籍が確認できれば送っていただけるそう。ありがたい!


幸いすべて整えることができるのでお願いしました。


もっと手間がかかるものだと思っていたのに、以外とあっさりと出来るものなのですね。


数日後「陸軍兵籍簿」と「戦没者調査票」が送られてきました。



これで所属部隊がわかり手掛かりが掴めたか!?


と思ったら、そうは簡単にはいかないんですね、これが。



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