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執筆者の写真澤﨑信孝

祖父「稲吉百歳」。(きっかけ)

更新日:1月28日

母方の祖父「稲吉百歳」。


先の大戦でビルマ(ミャンマー)で戦病死しました。享年30歳。


親の願いが込められた「百歳(ももとし)」という名からすると、あまりにも短い一生でした。



亡くなったのは終戦直前の8月11日と戦没者調査票ではされていますが

定かではなく、陸軍兵籍簿では7月27日になっています。


亡くなった場所も「テンゼイク村東方1km地点」とされているだけで、遺骨も未だに戻ってきておりません。


母が長崎で生まれた時には祖父は既に長崎を離れていたようで、そのまま会うことはありませんでした。


戦後しばらくして、祖母は再婚したのですが、再婚した祖父に遠慮してのことか、実の父親である「百歳」についてあまり母にも話すことがなかったそうです。


私もなんとなく、祖父は育ての親で、実の親は戦死したことは聞いたことがある程度でした。


確か、卒業以来、30年ぶりかで中学の同窓会があった頃


(自分の過去を振り返る年頃なんでしょうか、そのあと同じように高校の同窓会もありました)


実家で母に、なんとはなしに、遺影のあった戦地で亡くなった祖父のことを聞くと、


なんと、亡くなった場所もよくわからないし、お墓もなく、遺骨も戻ってきていないらしいとのこと。


驚きました。


娘の笑顔を見ることも、あやすことも、その胸に抱くことも叶わず、


遠い異国の戦地に果てた祖父を


今まで誰も弔うことができずに来ていたとは。


あんまりではないかと。


祖父の無念さを思うと、いつか線香をあげに亡くなった場所に弔いに行かねばと


ずっと、気になっていました。


そしてようやく時間を見つけて祖父のことを調べはじめたのは


今年に入ってからのことでした。


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