母方の祖父「稲吉百歳」。
先の大戦でビルマ(ミャンマー)で戦病死しました。享年30歳。
親の願いが込められた「百歳(ももとし)」という名からすると、あまりにも短い一生でした。
亡くなったのは終戦直前の8月11日と戦没者調査票ではされていますが
定かではなく、陸軍兵籍簿では7月27日になっています。
亡くなった場所も「テンゼイク村東方1km地点」とされているだけで、遺骨も未だに戻ってきておりません。
母が長崎で生まれた時には祖父は既に長崎を離れていたようで、そのまま会うことはありませんでした。
戦後しばらくして、祖母は再婚したのですが、再婚した祖父に遠慮してのことか、実の父親である「百歳」についてあまり母にも話すことがなかったそうです。
私もなんとなく、祖父は育ての親で、実の親は戦死したことは聞いたことがある程度でした。
確か、卒業以来、30年ぶりかで中学の同窓会があった頃
(自分の過去を振り返る年頃なんでしょうか、そのあと同じように高校の同窓会もありました)
実家で母に、なんとはなしに、遺影のあった戦地で亡くなった祖父のことを聞くと、
なんと、亡くなった場所もよくわからないし、お墓もなく、遺骨も戻ってきていないらしいとのこと。
驚きました。
娘の笑顔を見ることも、あやすことも、その胸に抱くことも叶わず、
遠い異国の戦地に果てた祖父を
今まで誰も弔うことができずに来ていたとは。
あんまりではないかと。
祖父の無念さを思うと、いつか線香をあげに亡くなった場所に弔いに行かねばと
ずっと、気になっていました。
そしてようやく時間を見つけて祖父のことを調べはじめたのは
今年に入ってからのことでした。
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