澤﨑信孝

2016年8月1日2 分

祖父「稲吉百歳」。(きっかけ)

最終更新: 1月28日

母方の祖父「稲吉百歳」。

先の大戦でビルマ(ミャンマー)で戦病死しました。享年30歳。

親の願いが込められた「百歳(ももとし)」という名からすると、あまりにも短い一生でした。

亡くなったのは終戦直前の8月11日と戦没者調査票ではされていますが

定かではなく、陸軍兵籍簿では7月27日になっています。

亡くなった場所も「テンゼイク村東方1km地点」とされているだけで、遺骨も未だに戻ってきておりません。

母が長崎で生まれた時には祖父は既に長崎を離れていたようで、そのまま会うことはありませんでした。

戦後しばらくして、祖母は再婚したのですが、再婚した祖父に遠慮してのことか、実の父親である「百歳」についてあまり母にも話すことがなかったそうです。

私もなんとなく、祖父は育ての親で、実の親は戦死したことは聞いたことがある程度でした。

確か、卒業以来、30年ぶりかで中学の同窓会があった頃

(自分の過去を振り返る年頃なんでしょうか、そのあと同じように高校の同窓会もありました)

実家で母に、なんとはなしに、遺影のあった戦地で亡くなった祖父のことを聞くと、

なんと、亡くなった場所もよくわからないし、お墓もなく、遺骨も戻ってきていないらしいとのこと。

驚きました。

娘の笑顔を見ることも、あやすことも、その胸に抱くことも叶わず、

遠い異国の戦地に果てた祖父を

今まで誰も弔うことができずに来ていたとは。

あんまりではないかと。

祖父の無念さを思うと、いつか線香をあげに亡くなった場所に弔いに行かねばと

ずっと、気になっていました。

そしてようやく時間を見つけて祖父のことを調べはじめたのは

今年に入ってからのことでした。

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